オーディオリンガルメソッドとコミュニカティブアプローチの融合を目指して
佐々木瑞枝
キーワード:オーディオリンガルメソッド、コミュニカティブアプローチ 、文型中心、学習者中心
はじめに
近年、日本語学習者の数は、ほかの言語教育には見られないほどの増加傾向にあり、1992年度の外務省の調査によると、国内での日本語学習者約48000人ということである。国内の日本語学習者は留学生、就学生、ビジネスマン、技術研修生、外交官、学術研究者、外国語教師、中国帰還者、インドシア難民、外国人労働者、およびそれらの人々の家族たちときわめて多様化している。
学習者増加 → 日本語教師や機関も激増 → 教科書が刊行され → 教授法 AL CAが主張
CA特徴
1、コミュニケーションに役に立つ言語能力の重視
2、学習者中心
(日本語教育学会編1992年)「教授法 指導上の問題点」として、文法の正確さとコミュニケーションができればよいという二つの考え方をどうとらえるか」と指摘している。
質問:ALとCA とは、それほど対立するものなのだろうか。
ALの文型は日本語表現の基礎として長年にわたって抽出練磨されてきた文型を土台にCAの方法論を採用して授業を進めることはできないものだろうか。
本稿 目的 :CAとALの融合を目指して、授業の実際的場面を踏まえていくつかの提案を試みたい。
1、 ALとCAは完全に対立するものなのか
AL 「出来上がった完成品」「唯一絶対の教授法」のように見なされている
批判がなされ → 日本語関係者に動揺を引き起こした。
ALの体系化された教授法に慣れ親しんだ教師たちは、CAに拒否反応を示すか
ALの教授法を否定するか 両極端
日本語教育におけるCAの登場がいかに突然のものだったかは「日本語教育辞典」(1982年)の「教授法」の項目の記述でCAについて全く触れられていないことからもうかがえる
日本語教育の教授法にカタカナ書きの用語が多いことに表れているように、日本語教育はこれまで英語教育の教授法理論を借用する形で行われてきた。
問題点
1、なぜ日本ではCAに対する反応が鈍かったのか、日本で行われている文型中心の教授法は欧米のおけるALと全く同じものだったのだろうか、
2、日本という風土の中で姿を変えて根付いたものなのだろうか
ともかく、日本国内でも状況は少しずつ変わりつつある。
「日本語教育」73号(1991年3月)は吉川武と松岡弘がコミュ二カティプアプローチを反論していた。
吉川武は「コミュ二カティブを取り入れたテキストの文を不自然ととらえるであろう。学習者にとって、何が基本的なものかわからない、だから全部暗記しなさい、ということになる」彼によれば「文型は掛け算である」
松岡弘は「ある程度経験をつんだ教師であれば、教科書の趣旨を読み取りつつ、その内容を教室内での問答や現実のコミュニケーションにあうように作り変えて、導入や練習を工夫するのが通例」である。
しかし、学習者の日本語能力をより効果的に高めることは日本語教師の共通なお願いはずだ。
ALとCAの対立を、保守対革新の党派対立のような不毛な対立としてはならない。
CAの長所を従来の文型中心の授業の中に、効果的に取り込んでいくことはできないものだろうか。
背景:実習の機会も皆ないし、乏しいままに教壇に立っているというのが実情である。
以下ALとCAの対立要点を見ていく中で、どのような融合が可能かを具体的に提示していくことにしよう。
2、 ALとCAの融合を目指して
Finocchiaro And Brumfit (1986)の対照リストが要点を分析的にとらえているので、対立点は22あげられている。
ここでは特徴的な対立点に絞って考察したい。両者の言うALがはたして日本語教育で行われている形態と同質なものかどうかも考えてみたい。
AL
1) 意味内容より言語の構造や形に注目する
2) ドリルが教授技術の中心である。
CA
1) 意味内容を最優先する
2) ドリルを行うこともあるが、それが中心ではない
AL 文型や文法項目を一つひとつ積み上げていくことで、教師はどんな文型や手順などを把握していた。たいたい同じ文型やほぼ同じ配列で並んでいることが分かる。教師はどの教科書を使用していても明確にその文型の意図を把握し指導することができるわけである。`
CAの立場に立ち、場面や機能を重んじた教科書では、こうした基本文型がバラバラに出てくることになる。ですから、「これでは何が重要な項目なのかさえわからない」という意見が多い。
筑波大学留学センターからCAを目指した日本語テキストとして刊行されたSituational Functional Japanese (凡人社 1991)で 文法事項がどのように処理されているかは興味深い。新教科書試行から一ヶ月たったころから学生たちは自然な会話の中に文法的な裏付けをほしがり始めた。このALを基礎としてテキストの中の文型、文法項目が「精選を経って、一般化され,典型化されたものであるならば、それらを単にパターンプラクティやドリルで定着するだけでなく。その文型をロールプレイやフイールドワークといったコミュニかティプなアプローチにも取り入れて両者の融合を目指した従業こそが有効ではないだろうか。
例
『しんにほんごのきそ』の第4課 初めて動詞が導入される
ステップ
1、 パネルを使って動詞の導入(口ならし、意味と音を結びつける、全員の唱和、ドリル練習)
2、 教科書の文型を使ってパターンプラクティス(教師主導の押し付け学習)
3、 当日の日付と「今日、昨日、明日」を結びつける、ます形、ました形の使い分け、というように授業を進めていく。(ここまでAL法)
(一言)パターンプラクティス(教師主導の押し付け学習)CAからの評価が良くない。
しかし、日本語教育の 本旨 は教室という限られた時間、空間で学習者にいかにして総合的な日本語能力を養うかにあるから、そのために、AL法であろうと、CA法であろうと学習者が学習項目に応用力をもって使いこなせるようになれば、どちらでもよいのである。
それに、応用力の基礎づくりには、何回も繰り返しドリル練習を行うことも時には必要であると考える。
『新日本語の基礎I』第4課より
1絵パネルを使って動詞の導入。口ならし。全員の唱和、ドリル練習。
単にドリル練習だけを行うなら、ALの特徴「ドリルが教授技術の中心である」という批判もあたる。しかし、ドリル練習の後。表現を使って楽しい工夫を考えてみる。
例、ここはインタビュー方法を取り入れる
*教師は学習者に近づいた時点から教室は楽しい雰囲気に変わり、実際のコミュニケーションをしているかのようになる。
*教師は言葉のやり取りの中で積極的に自然な口調で入れてみる方がよい。
*何回このようなインタビューを行ったあとチェイン プラクテェスとしてインタビュアーを変えていけば、学習者は質問の仕方や合いの手の入れ方を勉強することができる。
人数が多い → ペアワークで練習させる
応用練習では正確さよりも滑らかさを重視し、誤りがあまりひどいものでない限り、会話のやり取り、会話のやり取りの流れを誤りの指摘で断ち切らないようにする法が良いだろう。
応用会話 → ほかの動詞を使いたくなる
*パターンプラクティスはCAの練習の中でも必要に応じて取り入れたい。
一時間の授業の中で、文型、新出語彙の導入、ドリル練習を通じて基礎が学習者の頭に入った時点で場面設定し、コミュ二カティブな練習に入るという手順はALとCAの融合の土台となるだろう。
学習者:ALとCA融合 定着度が高い あきらず 文型、文法を知ったうえでそれを応用して話したい。
中上級対象の日本語教科書『日本社会再考』
フィールドワーク
グループディスカッション
レアリア
ロールプレイ
タスクスピーキング
タスクリスニング
インタビュー アンケート
グラフリーディング
などコミュニケーション場面に結びつけるかという観点で練習問題に工夫を凝らしてみた。
中上級ではコミュニケーション能力を育てることに力点を置いた、この用な取り組みも必要である。
ほかの対立点
AL
1ネイティブスピーカーのような発音が求められる。
2文法に関する説明は行わない
3学習者の母語の使用を禁じる
4初歩の階段では翻訳を禁じる
CA
1理解できる発音であればよい
2学習に役に立つ方法であれば、年齢や興味に応じて何でも利用する。
3母語の使用が適切な場合には、配慮しつつ使用する
4学習者が必要と認め、またそれで得ることがあれば、翻訳してよい。
この論点に関しては教師の判断に任されてよいと思う
学習者に共通な言語がある場合には、その共通言語を媒介語として文法説明を行うのは授業にとって効果的だ(筆者の経験)
学習者に直接法で伝えるのはかなり難しい場合、媒介語で言い換えれば学習者は簡単に納得する。発音に関しては、確かにCAが主張するように、理解できる発音であればよいと思う。
AL
会話力が十分習得されるまで、読むこと書くことには進まない
CA
学習者が望むなら、読むことを書くことも最初の日から行ってよい
文字教育導入の時期という点は文字から入ることは一つの有効な手段といえる
教科書は文型中心でドリル練習を行いながらも、文字に関しては文字に関しては最初の授業で積極的に導入している日本語教育機関が多いに違いない。
AL
単元の配列は言語学的に見た複雑さの尺度だけを考慮してきめる。
CA興味を持たせることを中心に内容、機能、意味 を配慮して単元を配列する。
いくつかの基本文型を指導しながら、その文型を適用する内容、機能、意味の配列に日本語教師たちは知恵を絞っているはずである。
例 「新日本語の基礎I」第14課
練習B
「すみませんが ~てください」の使い方は
ミニドラマを演じて見せればコミュ二カティブな要素が付加されることになる。学習者にその場面にあった言い方を習得させたいものである。CAとALの融合してくる。
文型練習中心 問題点
1教師―授業の主役 学習者―知識を伝達の対象となりがちである
→双方向コミュニケーションできるような工夫がポイント
2言語活動は社会言語的要素を持ちディスコースのなかでとらえるべき、学習者を作り続けることになる。
教師は、脈絡なく生の形で数多く提示されている文型、文法素材を縦横にアレンジしながら、学習者がおかれる社会的状況を考慮したピックを工夫することができる。
テキストを活用して
「フォーマルな場合とインフォーマルな場合」
「男ことばと女ことば」
「社会的地位」
「親疎の度合」
「内と外」
「年齢に対する配慮」
*社会言語学的な状況設定を練習の中に適宜織り込むことも必要
*日本語教育は文法レベルの教育に終始して終われるというものではない
文法説明や文型練習では解決できない学習者の疑問もたくさんある疑問を学習者が持つようになるのも、基本になる文型、文法項目の習得あってのことと言える。
CAとは、文法規則を直接のままに単調なドリル形式で教え込むのではなく、意味のあるコミュニケーション場面で教えることにその本意があるのだと考えれば、ALとCAの融合することでより生き生きとした授業が展開できるのではないだろうか。
近年、文型練習を中心にすえながら、サブ教材として採用したものが増えてきている。問題は教育計画の中に、それらをどう取り込んでいくかだろう、まだまだ工夫と努力の余地は残されているように思える。
確かに、直接法の指導に慣れてしまうと、クラス運営は実に容易だ。しかし、教師たちは気付かないうちに教室で「指示」したり、「命令」したりすることに慣れてしまい、ほかの教授法について考える余地もないままに、その指導法に安住していなかっただろう。
学校制度を根幹から批判する思想家であるイワァンイリッチは「教育を革新しようとしている人々でさえも、教育機関が彼の詰め込んだ教育内容のパッケージを生徒たちに注入する注射器のような機能を果たすことを前提としている。問題なのは彼らが教育は教育者の管理下になされる制度的過程の結果だと仮定していることである。」CAの運動も彼のような思想家の影響を大いに受けている。
日本語教育は明治以来の教育が暗記、受験、画一化といった弊害を生んできている。そうした教育の下で育った日本語教師が自らの中に培われた教育に対してイメージを改革するのは並大抵のことではない。
ALとCAの論争は我々がこれまでの教授法を振り返り、学習者の主体性を尊重しつつ、教えるべきことは教えるようにするためにはどうしたらよいかを根本から再考する際の様々な糸口を提供してくれるように思える。
研究課題(リサーチクェッション)の整理表
研究テーマ: オーディオリンガルメソッドとコミュニカティブアプローチの融合を目指して
背景 (動機・先行研究) |
リサーチクェッション/ 仮説 |
指標・データ収集方法・分析方法 |
得られた(あるいは 予想される)結果 |
近年、日本語学習者の数は、ほかの言語教育には見られないほどの増加傾向にあり、1992年同の外務省の調査によると、国内での日本語学習者約48000人ということである。国内の日本語学習者は留学生、就学生、ビジネスマン、技術研修生、外交官、学術研究者、外国語教師、中国帰還者、インドシナ難民、外国人労働者、およびそれらの人々の家族たちときわめて多様化している。
学習者増加 → 日本語教師や機関も激増 → 教科書が刊行され → 教授法AL CAが主張
本稿 目的 :CAとALの融合を目指して、授業の実際的場面を踏まえていくつかの提案を試みたい。
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1、ALとCA とは、それほど対立するものなのだろうか。
ALの文型は日本語表現の基礎として長年にわたって抽出練磨されてきた文型を土台にCAの方法論を採用して授業を進めることはできないものだろうか。
2、ALとCAの融合を目指して
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Finocchiaro And Brumfit (1986)の対照リストが要点を分析的にとらえているので、対立点は22あげられている。
ここでは特徴的な対立点に絞って考察したい。両者の言うALがはたして日本語教育で行われている形態と同質なものかどうかも考えてみたい。
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授業の中で、文型、新出語彙の導入、ドリル練習を通じて基礎が学習者の頭に入った時点で場面設定し、コミュ二カティブな練習に入るという手順はALとCAの融合の土台となるだろう。
学習者:ALとCA融合 定着度が高い あきらず 文型、文法を知ったうえでそれを応用して話したい。
教師は、脈絡なく生の形で数多く提示されている文型、文法素材を縦横にアレンジしながら、学習者がおかれる社会的状況を考慮したピックを工夫することができる。
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参考資料
1、パターンプラクティス(文型練習):ALの文型を習得させるための練習方法の一つ、文の部分を入れ替えて新しい文を作らせる代入練習や文型の構造を変える転換練習、教師との質問答えを通して受け答えの文型を習得する応答練習、長い文を作る練習のための拡大練習などが代表的なもの。
グループで、あるテーマについて討論すること。特に、その自由討論によって各人の能力や積極性などを判定・開発する集団討議法。
4、レアリア:実物教材の中で初級用の実物教材は特にレアリアともいえる。
実物教材:意味の説明や小道具として臨場感を高めるためなどに使われる実物を指すことが多い、生教材と同じ意味で使われることもある。
5、ロールプレイ:(役割演技)会話のため「状況」とそれぞれの「役割」を与えて、それに従って自由に会話をさせる練習方法。例えば「ホテルの受付係り」
6、フォーマル(Formal)[形動]正式なさま。公式なさま。形式的。儀礼的。「―な会合」「―ウエア」
8、コミュニケーション能力:状況に合った言語行動が可能で、しかも会話の主題や場所に適切で、相手との人間関係を良好に保てるような話し方や聞き方ができる能力を指す。言語能力 社会文化能力 方策的能力。
9、オーディオリンガルメソッド
第二世界大戦後、アメリカにおいて当時の最新の言語理論であった構造言語学と主導的心理学であった行動心理学の理論に基づいて開かされた教授法。主唱者がミシガン大学のフリーズであったことから、フリーズメソッドまたはミシガンメッソドと呼ばれることもある。行動心理学の学習理論である習慣形成理論に基づいて徹底的な反復練習が求められた。
実践する手段としてミム メム練習や文型練習などである
特徴としては口頭会話能力の養成を優先し、文字や表記の教育は口頭会話能力が安定してから行うこと、母語話者並みの正確さを求められることなどがあげられる。
10、コミュニカティブアプローチの指導原則
コミュ二カティブアプローチの基本的な指導原則としてモロウは次の原則を掲げている
1クラスで今何かが行われているかを知っていなければならない。
2言語の部分を学習するでけではなく。全体にも目を向けなければならない。
3コミュニケーションでは、その伝達の過程は言語形式と同様に重要である。
4言語を学ぶのには、経験することが大切である。
5学習者の犯す誤用は必ずしも誤りではない。
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